[サイト趣旨] 独自コラムの背景にある認識

2018年1月3日

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コラム記事の趣意

トコシエの本業は英語と日本語の間をとりもつ翻訳業です。翻訳会社の経営を20年以上続けて、ようやくほぼリタイヤの状態まで漕ぎつけました。そんな私が現役バリバリのみなさんのお役に立てるとしたら、結局は、おカネの問題に尽きると思うのです。

おカネの問題というのは「投資で稼ぐ」というだけではありません。おカネを通じて現代社会や個人の人生についてどう考えるかという問題に密接につながっています。なぜなら、現代ではおカネより強いものは存在しないからです。

おカネこそ現代人の宗教

翻訳家の直観として、現代はおカネが絶対神に昇格した時代だと感じています。イエスやヤハウェがおカネに「翻訳」された結果、おカネ儲けが正当化され、おカネ儲けに邪魔な規制をぜんぶ解除していくネオリベラリズム(新自由主義とも、以下ネオリベ)という思想がメジャー化しました。

ネオリベは「政府は極力介入すべからず。利害調整は人々の自由意思に任せよ」と考えるため、資本主義と相性が抜群で、瞬く間に多くの人間を改宗させることに成功しています。この場合、人々の自由意思を「翻訳」すれば、「マネーゴッドが司る市場は公正かつ無謬なり。なべて市場に従うべし」という教理になります。そこから「マーケットはフェアである」という信仰が生まれ、ネオリベ資本主義世界の基盤思想となります。

ここで重要なのは価値の転倒が起きている点です。ネオリベ資本主義においてはイエスやヤハウェの意思ではなく、あくまで人間の自由意思に至上の価値が置かれるのです。これがルネサンス以降の近代が推進したヒューマニズム(人間中心主義)の帰結ということになります。

ネオリベ思想を政治の世界へ「翻訳」すると、「政治家は最終的な責任を市場に押しつけてよい」という悪魔のささやきとなります。だから現代では為政者がどんどん無責任になっていきます。

たとえば、年金は破綻しているから政府はやめたくてうずうずしているのですが、保身を図って先送りしています。ベーシックインカム云々の話にどこの政府も乗り気なのは、年金廃止を自分たちではなくAIのせいにできるからに他なりません。

マネー崇拝は近代の人間中心主義の帰結

超スピードアップして歴史を振り返れば、ルネサンスのヒューマニズムは科学技術の発達とともに近代社会の基調となりまた。科学知の普及は神への不信を醸成しましたが、ヨーロッパ人の外部に「異教徒」や「無知蒙昧な土人たち」がいる間は、棄教には至りません。彼らは「神の名の下に」アフリカやアメリカ大陸やアジアを侵略し、掠奪とキリスト教の布教を押し進めました。

やがてアメリカの独立あたりを境に「外部」が消滅すると、資本主義の資本蓄積運動(おカネがおカネを呼び寄せ、富の偏在を生む資本の自己増殖)が深刻な所得格差と社会不和を生みだします。それが沸点に達したのが100年前のロシア革命であり、二度にわたる大量殺戮の世界戦争でした。

戦後は冷戦時代と呼ばれましたが、実質上は大規模な棄教が起きていたのです。共産主義者は「宗教は民衆のアヘンだ」といって、とっととおカネ崇拝になびいていましたが、西側では表向き平静を保っていました。ところがレーガンやサッチャーが登場したあたりから、欧米経済の成長に陰りが生じると、それまで人間を{理由があって)自制させていた歯止めが取り除かれ始めました。共産主義社会に続いて資本主義社会でも大規模な棄教が公認され、マネーゴッド崇拝が決定的になった瞬間といえます。

ネオリベのテーゼは市場原理=市場至上主義です。明示的な啓典は存在しませんが人々の脳裏には「自由が宗教と政府に優越する」という考え方が暗黙の前提として働いています。自由を保障するのは神の意思(戒律)や政府の意思(規制)ではなく市場なのですから、市場が認める限り何をしても自由なわけです。おカネ儲けがこれほど手放しで称賛された時代は存在しません。人間は心の底でいつも自分が神になりたいのですから、いよいよ本音を隠さなくなっただけといえます。

責任の付け回し先が市場になった現代

人間は神のパワーは欲しても責任は欲しない甘えた生き物です。一神教システムは「人間の究極の責任を人間自身ではなく唯一神に背負わせる」システムだったのですが、これが行きづまって今度は「市場に責任を押しつける」ことを思いついたのです。これなら誰からも文句が出ません。

今後、為政者が市場に責任を転嫁する流れはどんどん既成事実化していくでしょう。彼らがそんなにルーズになれるのは、総体的な地球平和が持続する見通しがもてるからです。核兵器を持った結果、人類は、いまも頻発する小競り合いや代理戦争を除けば、大戦争をしなくなりました。人間が道徳的に立派になったからではなく、日米欧の先進諸国が植民地主義・帝国主義競争の果てに、力づくで富を奪い取るより、ビジネスを通じて富を集める方が効率的なことに気づいたからです。

最長不倒の平和を実現しつつあるマネーゴッド時代

「おカネが宗教と政治に優越する」という事態は人類史上初めての出来事です。そのことの影響が最も端的に顕れているのは、保守の実質的消滅という現象ではないでしょうか。宗教と政治が権威であった時代、それらは保守が護るべき価値の源泉でしたが、もはや水は補給されなくなりました。保守派がどんな希望的観測を持とうと勝手ですが、今後も伝統価値の破壊は進行し、最終的には人々の追憶や本の中にしか残らない何かになっていきそうです。

いい人ぶりっこの時代

このようなマネーゴッド時代、欧米人は率先して「いい人ぶりっ子」をし始めました。以来、リベラルで、偏見がなく、差別をせず、ものわかりのよい人間が大量発生しています。象徴的なのはヨーロッパの社会民主化でしょうか。

それはネオリベとコミュニズムの親和性の高さを示しています。東側勢力が、膨大な人命を犠牲にしてまで目指したはずの「自由で平等な社会」という目標を、ネオリベ社会はいともたやすく達成してしまいました。人間の理想や道徳ではなくマネーゴッドが「理想社会」を実現に導いたのです。

しかし政治的には何ら進歩していません。レーニンとスターリンが、銀行とFAGA(米帝のテクノロジー・ジャイアント)に変わっただけで、富を寡占する勢力が社会を支配する構造は一貫しています。マルクス主義者のいう搾取が市場競争に「翻訳」されただけだと言えるでしょう。

今後のカギを握るのはAIと仮想通貨

現在、おカネの95%以上はキャッシュではなく、コンピューター・ネットワークを光速で行きかう電子記号になっています。おカネは究極的には「約束」であり、未来に行使する権利を保留しておく手段に過ぎないのですが、死すべき人間にとっては神より頼りになります。

その昔、神々は巨大な石像や絵で具体的に表現され崇拝されていましたが、だんだんエキスが集約されていき、最終的に一神教化されると、偶像崇拝が禁じられました。それと同じで、おカネの世界でもキャッシュは古代の神像のような存在になりつつあります。電子情報としてのおカネが唯一神の位階に登りつめたからです。

仮想通貨はこのオンリーワン・ゴッドに挑む新興宗教集団のような存在です。「仮想通貨教」がドルやユーロや円のような「世界宗教」の仲間入りを果たすかどうかは誰にもわかりません。しかし、AIの進展と並んで、現代人が目を離せない重要な存在であることは確かではないかと思います。

何ら政治的に進化できない人類が、富の寡占勢力の差配が及ばない経済圏を構築できるかどうか。それは壮大な実験です。AIが人間の労働の何割かを置き換えるとき、人間は果たして「仮想通貨教徒」として自由に生きることを許されるのでしょうか。それとも銀行やFAGAは、彼らの既得権益を失うのを恐れ、全力で弾圧・迫害を仕掛けるのでしょうか?

自分の身は自分で守ろう

悲しいかな、AIや仮想通貨が新しい世界を作り上げるとしてもまだ時間がかかります。トコシエを含め、特権やコネに恵まれぬ庶民層は、自分で自分の身を守るしかありません。

おカネによって宗教と政治が滅んだことを象徴するように、ネオリベ為政者や企業家は浮ついた先送り志向でこの国を運営しています。彼らの自堕落が大きな社会的圧力として若者にのしかかっています。「働き方改革」でも「憲法改正」でもいいですが、「改」の一字を入れておかないと気が済まない時点で彼らが保守派ではないことは明白です。こんなどうしようもない大人たちのもとに貴重な時間を奪われていく若者はつくづく気の毒です。

当サイトのコラム記事では、こうした現実を踏まえて「カネが神様の世界」の潮流について考えていきたいと思っています。

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Posted by tokoshie80